交流戦が始まり、カープはまた負けた。
今年は今後横浜にもやられて最下位に終わるのではないかという気がする。
yahoo の1球速報を見ているとすぐに気がつくことが多々ある。
1点あれば勝てる、という時にむざむざと打たせて凡打に終わり得点できない。8回裏ワンアウト満塁、0-0である。先発投手は好投し後の抑えの投手も充分にいる。
1点とれば楽勝のケース。素人でも分かる。なのにスクイズをさせない。
野村監督は、勝利に対してはほとんど低能か、無能の監督である。この監督がやっている限り絶対にこれ以上強くならない。作戦コーチも無能。バッティングコーチもさらに無能。
ブラウン監督の方がまだ良かった。闘志があったから。
野村監督には闘志すら感じない。
負けると必ず言う「とにかく打線の奮起です」
バカなのか!
選手のせいにするのはいい加減にしてもらいたい。
8回裏ワンアウト満塁、0-0
下位打線につながる。何も策を施さず凡打をくり返し0点に終わった。相手に1点取られて負けてしまった。
ほとんど犯罪的な作戦ミスと言うか、作戦のなさである。
何が犯罪的かというと、ファンに対してだ。
昨年からずっと観戦していてよおく分かった。この監督がいる限りは強いチームになれない。
全国のファンに頭を下げてもらいたい。勝つ方法を知らない監督はすぐに更迭すべきだ。
今年は今後横浜にもやられて最下位に終わるのではないかという気がする。
yahoo の1球速報を見ているとすぐに気がつくことが多々ある。
1点あれば勝てる、という時にむざむざと打たせて凡打に終わり得点できない。8回裏ワンアウト満塁、0-0である。先発投手は好投し後の抑えの投手も充分にいる。
1点とれば楽勝のケース。素人でも分かる。なのにスクイズをさせない。
野村監督は、勝利に対してはほとんど低能か、無能の監督である。この監督がやっている限り絶対にこれ以上強くならない。作戦コーチも無能。バッティングコーチもさらに無能。
ブラウン監督の方がまだ良かった。闘志があったから。
野村監督には闘志すら感じない。
負けると必ず言う「とにかく打線の奮起です」
バカなのか!
選手のせいにするのはいい加減にしてもらいたい。
8回裏ワンアウト満塁、0-0
下位打線につながる。何も策を施さず凡打をくり返し0点に終わった。相手に1点取られて負けてしまった。
ほとんど犯罪的な作戦ミスと言うか、作戦のなさである。
何が犯罪的かというと、ファンに対してだ。
昨年からずっと観戦していてよおく分かった。この監督がいる限りは強いチームになれない。
全国のファンに頭を下げてもらいたい。勝つ方法を知らない監督はすぐに更迭すべきだ。
今村猛は3年前の広島カープドラフト1位の投手。
なかなかの素質の持ち主で高卒ですぐ1軍で起用された。昨年後半からはセットアッパーとして活躍している。
ちなみに同じ年のドラフト2位が目下売り出し中の堂林翔太。二人とも同じ年の甲子園春・夏の優勝投手だ。
今村猛が書くブログが実に面白い。(堂林も書いているが面白くない)
今村猛のブログ
彼のすっとぼけた顔と同様に文章がどこまでもとぼけている。
やたらに空白が多く、いまどきの若い人特有の書き方になっているがそれがまた彼のキャラクターにピッタリ合っている。
彼は試合に勝とうが負けようが、先輩のマエケンがノーヒットノーランをやろうがやるまいが一切お構いなしといった感じでブログを書く。
それは超然としていて、まるでプロ野球選手とは思えない。
広島カープは早くも連敗モードに入ってしまったが、時々は彼のブログを読んで(眺めて?)敗戦の悔しさを紛らわすことにしようと思う。
なかなかの素質の持ち主で高卒ですぐ1軍で起用された。昨年後半からはセットアッパーとして活躍している。
ちなみに同じ年のドラフト2位が目下売り出し中の堂林翔太。二人とも同じ年の甲子園春・夏の優勝投手だ。
今村猛が書くブログが実に面白い。(堂林も書いているが面白くない)
今村猛のブログ
彼のすっとぼけた顔と同様に文章がどこまでもとぼけている。
やたらに空白が多く、いまどきの若い人特有の書き方になっているがそれがまた彼のキャラクターにピッタリ合っている。
彼は試合に勝とうが負けようが、先輩のマエケンがノーヒットノーランをやろうがやるまいが一切お構いなしといった感じでブログを書く。
それは超然としていて、まるでプロ野球選手とは思えない。
広島カープは早くも連敗モードに入ってしまったが、時々は彼のブログを読んで(眺めて?)敗戦の悔しさを紛らわすことにしようと思う。
評論家の吉本隆明が亡くなった。
40年前、学生時代に読んだのが『マチウ書試論』である。
マチウ書とは、要するに新約聖書の「マタイ伝」を指す。マタイをフランス語で読むとマチウとなる。
そこに書かれているのは独特の宗教観で、通常のキリスト教を論じる文脈とは全く違う。わざわざフランス語読みに表記することでそのことを間接的に伝えたかったのだろうか。
吉本隆明は、聖書を誰が書いたのかということを論じている。キリスト教国家に生まれた人間ならおそらくこういう発想はしない。神は既にあるものであり、聖書は既にあるものだからだ。聖書に書かれてあることは論じるが、聖書を誰が書いたのかなど、論じる人はいない。それはタブーに近いものだ。触れてはならないと言うより、触れるということ自体がおかしいものだ。
そのことが新鮮だった。
『マチウ書試論』を読んで一年ほどたって、大学で文芸講演会が開かれた。四人の演者がいたが、最後の二人だけ記憶している。
三人目に詩人の田村隆一が出てきた。別に大した話はしなかったが、よく覚えているのは、「私は難しい話は苦手なんです。難しい話はこの後に出てくる人にお任せしてあります」ということを三回言った。
彼が早々に引き上げた後に、難しい話をする吉本隆明が登壇した。
吉本隆明の話は全く分からなかった。
そこまで難しい話を人前で堂々とする神経とは一体何なのだろうかと妙な感動を覚えたりした。
・・・優れた評論家は本当にいなくなった。小林秀雄も亀井勝一郎も唐木順三も、そして江藤淳もいなくなって、また吉本隆明もいってしまった。
今、彼らに匹敵する評論家は誰かいるのだろうか。
40年前、学生時代に読んだのが『マチウ書試論』である。
マチウ書とは、要するに新約聖書の「マタイ伝」を指す。マタイをフランス語で読むとマチウとなる。
そこに書かれているのは独特の宗教観で、通常のキリスト教を論じる文脈とは全く違う。わざわざフランス語読みに表記することでそのことを間接的に伝えたかったのだろうか。
吉本隆明は、聖書を誰が書いたのかということを論じている。キリスト教国家に生まれた人間ならおそらくこういう発想はしない。神は既にあるものであり、聖書は既にあるものだからだ。聖書に書かれてあることは論じるが、聖書を誰が書いたのかなど、論じる人はいない。それはタブーに近いものだ。触れてはならないと言うより、触れるということ自体がおかしいものだ。
そのことが新鮮だった。
『マチウ書試論』を読んで一年ほどたって、大学で文芸講演会が開かれた。四人の演者がいたが、最後の二人だけ記憶している。
三人目に詩人の田村隆一が出てきた。別に大した話はしなかったが、よく覚えているのは、「私は難しい話は苦手なんです。難しい話はこの後に出てくる人にお任せしてあります」ということを三回言った。
彼が早々に引き上げた後に、難しい話をする吉本隆明が登壇した。
吉本隆明の話は全く分からなかった。
そこまで難しい話を人前で堂々とする神経とは一体何なのだろうかと妙な感動を覚えたりした。
・・・優れた評論家は本当にいなくなった。小林秀雄も亀井勝一郎も唐木順三も、そして江藤淳もいなくなって、また吉本隆明もいってしまった。
今、彼らに匹敵する評論家は誰かいるのだろうか。
3月10日(土)深夜にNHKで放送された『3月11日のマーラー』が素晴らしかった。
去年の3月11日、大地震があったその夜に、東京でマーラーの交響曲第五番の演奏会があった。観客が来るのかどうかも分からなかったが、演奏会は行われた。
オーケストラの人数と、観客の総数はほぼ同じ。
演奏者も観客も、全員が昼間テレビで見た津波の恐怖に怯えている。演奏なんかしていていいのか、演奏会なんか聞きに来ていていいのか、そんな疑問を感じながら演奏は始まる。・・・・・
奇跡の演奏が始まる。
ホールにいる全ての人がマーラーを理解し、音楽は、苦悩と絶望の底から次第に立ち上がり、やすらぎから歓びへ、そして感動的な救済へと展開する。
番組はドキュメンタリーである。その日の指揮者、演奏者、そして観客たちにインタビューをくり返しながら進む。
そのすべての人たちは地震と津波の映像に怯え、東北に住む親戚や友人達を心配し、あるいは自分達自身ですら、今日は帰れるのか、無事でいられるのかという恐怖と戦っている。
マーラーは、「大丈夫だ」と言う。「私といっしょに来なさい。何も心配いらない。大丈夫だから」と語る。
――この1年間、あの日の自然による大虐殺という事実が頭を離れず、この世界にはどんな意味があるのかと自分なりに考え続けてきた。
その一つの答を見た気がした。第四楽章「アダージェット」を聞きながらどうにも涙が止まらなくなってきた。
音楽、そして芸術が持つ力を思い知らされた。
自分もこれを見てなにか一つ乗り越えたような気がするのだが、気のせいかな。
(とても素晴らしい番組なので、きっと再放送があると思います)
去年の3月11日、大地震があったその夜に、東京でマーラーの交響曲第五番の演奏会があった。観客が来るのかどうかも分からなかったが、演奏会は行われた。
オーケストラの人数と、観客の総数はほぼ同じ。
演奏者も観客も、全員が昼間テレビで見た津波の恐怖に怯えている。演奏なんかしていていいのか、演奏会なんか聞きに来ていていいのか、そんな疑問を感じながら演奏は始まる。・・・・・
奇跡の演奏が始まる。
ホールにいる全ての人がマーラーを理解し、音楽は、苦悩と絶望の底から次第に立ち上がり、やすらぎから歓びへ、そして感動的な救済へと展開する。
番組はドキュメンタリーである。その日の指揮者、演奏者、そして観客たちにインタビューをくり返しながら進む。
そのすべての人たちは地震と津波の映像に怯え、東北に住む親戚や友人達を心配し、あるいは自分達自身ですら、今日は帰れるのか、無事でいられるのかという恐怖と戦っている。
マーラーは、「大丈夫だ」と言う。「私といっしょに来なさい。何も心配いらない。大丈夫だから」と語る。
――この1年間、あの日の自然による大虐殺という事実が頭を離れず、この世界にはどんな意味があるのかと自分なりに考え続けてきた。
その一つの答を見た気がした。第四楽章「アダージェット」を聞きながらどうにも涙が止まらなくなってきた。
音楽、そして芸術が持つ力を思い知らされた。
自分もこれを見てなにか一つ乗り越えたような気がするのだが、気のせいかな。
(とても素晴らしい番組なので、きっと再放送があると思います)
最近、テレビのニュースを見ていると醜悪な顔をした政治家たちが決まり文句を必ず言う。
「その問題につきましては、しっかりとした道筋をつけて議論してまいりたいと思います」
「消費税の議論は多くの人の意見を聞いて、きちんと協議して進めていくのがしっかりとした政治の道筋だと思っております」
バカの一つ覚えとはこういうことを言う。
この副詞を多用する政治家は自分の言葉、定見を持っていないと考えたほうがよさそうです。
現総理大臣はこの副詞を使うことを得意としておりますので、今度テレビのニュースをご覧になるときはそこのところをしっかりと注意し、きちんと聞いてくださるよう、お願いいたします。
「その問題につきましては、しっかりとした道筋をつけて議論してまいりたいと思います」
「消費税の議論は多くの人の意見を聞いて、きちんと協議して進めていくのがしっかりとした政治の道筋だと思っております」
バカの一つ覚えとはこういうことを言う。
この副詞を多用する政治家は自分の言葉、定見を持っていないと考えたほうがよさそうです。
現総理大臣はこの副詞を使うことを得意としておりますので、今度テレビのニュースをご覧になるときはそこのところをしっかりと注意し、きちんと聞いてくださるよう、お願いいたします。
今年の野球殿堂入りに、北別府学(元広島カープ投手)と津田恒美(同じく元広島カープ投手)が選ばれた。
北別府は200勝以上の実績があるので選ばれて当然だが、津田は驚いた。
もう津田は忘れられようとしていた。覚えておいてくれてありがとうを言いたい。
選んでもらってありがとうと言いたい。
元、津田恒美の大ファンより。
・・・ところで黒田は今年も帰ってこないようだ。
まあ、仕方ないですね。チャンスがあるなら思い切り挑戦したほうがいいでしょう。
北別府は200勝以上の実績があるので選ばれて当然だが、津田は驚いた。
もう津田は忘れられようとしていた。覚えておいてくれてありがとうを言いたい。
選んでもらってありがとうと言いたい。
元、津田恒美の大ファンより。
・・・ところで黒田は今年も帰ってこないようだ。
まあ、仕方ないですね。チャンスがあるなら思い切り挑戦したほうがいいでしょう。
高校ラグビーは東福岡高校が三連覇し(1/7)、大学ラグビーは帝京大学が三連覇した(1/8)。
東福岡高校のラグビーは三年間本当に素晴らしく、ボールをつないでつないで走り回るという、ラグビー本来の醍醐味を満喫させてくれる文句のないものだった。
スポーツマン精神も見事で、今年の決勝戦は最後の最後、リードしていて残り時間はなく、ボールを外に蹴りだせばそれで終了なのにそれをあえてせず、「もう一つトライをとる」というチャレンジ精神で攻めて攻めまくり、挙句の果てにはトライを奪われてしまったが、そのすがすがしい態度に心から拍手を贈った。
東福岡の谷崎監督は試合前いつも子供たちに言うそうだ。「楽しんで来い!」
・・・それに引き換え、帝京大学の醜悪なラグビーは一体なんだろうか。力任せにボールを奪い(そこまではいい)そのボールをいつまでもグズグズと動かさず時間稼ぎばかりする。
彼らの試合を見るといつもイライラさせられる。彼らにはラグビーをするものの志というものがまるっきりないのだ。見ていて面白くない。
大学チャンピオンがあのような試合を全国放送のテレビで見せていては、ラグビーをやりたいという子供はどんどん減るばかりだろう。
勝ちさえすればどんなやり方を選んでも構わないというのはスポーツマン精神に反する。子供たちに夢を与えるのは彼らの大切な使命のはずだ。
だが子供たちは、帝京大学の試合を見て、僕もあんなラグビーをやりたいから帝京大学に入ろう、などと思うだろうか。
三連覇に浮かれることなく、帝京大学ラグビー部、特に指導者である監督・コーチ陣には猛省を促したい。
東福岡高校のラグビーは三年間本当に素晴らしく、ボールをつないでつないで走り回るという、ラグビー本来の醍醐味を満喫させてくれる文句のないものだった。
スポーツマン精神も見事で、今年の決勝戦は最後の最後、リードしていて残り時間はなく、ボールを外に蹴りだせばそれで終了なのにそれをあえてせず、「もう一つトライをとる」というチャレンジ精神で攻めて攻めまくり、挙句の果てにはトライを奪われてしまったが、そのすがすがしい態度に心から拍手を贈った。
東福岡の谷崎監督は試合前いつも子供たちに言うそうだ。「楽しんで来い!」
・・・それに引き換え、帝京大学の醜悪なラグビーは一体なんだろうか。力任せにボールを奪い(そこまではいい)そのボールをいつまでもグズグズと動かさず時間稼ぎばかりする。
彼らの試合を見るといつもイライラさせられる。彼らにはラグビーをするものの志というものがまるっきりないのだ。見ていて面白くない。
大学チャンピオンがあのような試合を全国放送のテレビで見せていては、ラグビーをやりたいという子供はどんどん減るばかりだろう。
勝ちさえすればどんなやり方を選んでも構わないというのはスポーツマン精神に反する。子供たちに夢を与えるのは彼らの大切な使命のはずだ。
だが子供たちは、帝京大学の試合を見て、僕もあんなラグビーをやりたいから帝京大学に入ろう、などと思うだろうか。
三連覇に浮かれることなく、帝京大学ラグビー部、特に指導者である監督・コーチ陣には猛省を促したい。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
大阪の義父母(それぞれ85歳超)に、年末にそれぞれお揃いの色違いで携帯電話を送りました。
正月に届いて二人は大歓びしております。
今朝父の携帯に電話しましたがなかなか電話に出ず、出かけてるかと思いましたが、しばらくして母から電話があり、
「おじいちゃんな、携帯電話、箱の中に直してるさかいわからへんかったんやて」 との説明。
(携帯電話のパッケージの箱の中に、宝物をしまうように収めていたという意味)
思わずうなってしまいました。
ほとんど『カーネーション』の世界。義父母は岸和田生まれの岸和田育ち。(もちろん家内も岸和田出身)
この素敵な両親がどうか長生きしますように・・

