人間55年・・・思い出せないことが多くなりました。
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そしてなお、新しいエントリー記事は、この記事の下に表示されることになりますので、ご注意ください。更新が止まったわけではありません。
ル・クレジオ
日本人のノーベル賞受賞が相次いでいるので、文学賞も・・・と期待していた人は多かったのではないだろうか。

村上春樹はあり得ないと思っていたが、発表されて、もっと驚いた。

フランスの作家、ル・クレジオ。ほとんどの日本人は知らないのではなかろうか。

ル・クレジオは、40年ほど前、ヌーヴォー・ロマンのホープとして登場した。ヌーヴォー・ロマンのフランス人作家は多かったが、すべてに共通して言える特徴があった。

読んでも、さっぱりわけが分からない、ということだ。

学生時代に、ル・クレジオの『洪水』という本を図書館で借りてきたが、2,3ページ読んだだけでムカムカし、返却した。

今でも、近所の図書館に行くとル・クレジオの本が置いてある。最近は少し作風が変わったようだが、それでも読む気にはなれない。

ノーベル文学賞の選考委員たちは、ヨーロッパの作家が好きなようだ。

『さよならコロンバス』を書いたアメリカの作家、フィリップ・ロスは、今年も受賞できなかった。
『面影橋から』  作詞・作曲 及川恒平
この曲は、30年以上前、「六文銭」というフォークグループが歌った。
謎めいた影がゆらゆらと揺れているような歌で、不思議な魅力がある。


面影橋から 天満橋  
       
天満橋から 日影橋

季節はずれの 風にのり
 
季節はずれの 赤とんぼ

流してあげよか 大淀に

切って捨てよか 大淀に


「面影橋」は、東京の早稲田の近くにある。その橋を渡ったことはないが、「面影橋」という名の都電の駅がある。「天満橋」は、東京にはなさそうだ。大阪だろう。おそらく「日影橋」も。

最後に「大淀に」と言っているので、やはり大阪だろうと思う。

「六文銭」は、ヴォーカルに恵まれなかった。リーダーで、作詞・作曲も手がけた小室等が、弱い声帯で唄うのが痛々しく、ヒットした曲は少ない。

「六文銭」は、上条恒彦をヴォーカルとしてフィーチャーし、『出発(たびだち)の歌』を送り出して大ヒットした。以下の『面影橋から』の映像は、及川恒平が唄っているのだろう。ヘタクソなので聞かないほうがよろしいかと。

『破獄』
俳優の緒方拳が亡くなった。テレビのニュースを見ていたら、津川雅彦が最期をみとったということで、涙ぐみながらインタビューに答えていた。

はて。緒方拳と津川雅彦との接点とは・・・

少し考えて、思い出した。30年くらい前の、NHKのテレビドラマ『破獄』。緒方拳の演技に圧倒された。
原作は吉村昭の小説だが、実話をもとにしている。

戦前、佐久間という凶悪犯が青森刑務所に収監される。緒方拳が佐久間を演じた。

青森刑務所の看守の役で、津川雅彦が登場した。(役での名前は忘れた)

佐久間は、青森刑務所を手始めに、4つの刑務所を脱獄する。絶対に脱獄不可能といわれた、網走刑務所も脱獄する。佐久間と、看守役の津川雅彦は次第に心を通いはじめるようになる。

津川雅彦は、脱獄してきた佐久間が自分の家に逃げ込んできたとき、佐久間をかくまう。


・・・佐久間の、切ないまでの、「自由」への渇望。

脱獄し、狼のように雪の野原を駆け回る、獰猛で俊敏な肉体の動き。


走っているとき、佐久間は民謡のような歌を大きな声でがなっていた。まさに、けもの。緒方拳は、けものを演じることが出来た。


ドラマのなかで、時は流れ、津川雅彦は定年して狭い公団住宅のようなところに住み、正月になると、佐久間が訪ねてくる。
二人ともすっかり老人になった。佐久間の歯は抜け、それでも雑煮のモチにしゃぶりつき、「エヘヘ」と笑っている。

そんな佐久間を、津川雅彦は優しい目で見ている。

緒方拳と津川雅彦が、互いの素質を認め合う親友になったのは、このドラマでの共演がきっかけではないかと、勝手に想像していた。

緒方拳は、生涯、自由を求め続けた俳優だった。若い頃、新国劇に入って将来を期待されながら、新国劇から脱出し、辰巳柳太郎から破門された。

自分を少しでも拘束するものから、脱出し続けた。

だから、緒方拳には、壇一雄の『火宅の人』がよく似合ったし、『破獄』の佐久間の役がよく似合った。


自由を手に入れるため、緒方拳は、演じた。

自由を手に入れるために、緒方拳には、もう少し時間があっても良かったのではないだろうか。
プロ野球改革私案
日本のプロ野球には、何年か前から、メジャーリーグを真似て、クライマックス・シリーズというものができた。最初は単純にプレーオフと呼んでいた。

セ・パ両リーグの優勝チームを決めるのに、これほどおかしな制度はない。ペナントレースが終って、勝率第1位のチームが、イコール優勝でない。3位と2位のチームが戦って、勝ったほうが1位のチームに挑戦し、勝ったほうが本当の優勝チームになる。長いペナントレースを必死の思いで戦って、勝率1位になったのに、優勝できないかも知れないのだ。

それどころか、3位のチームにも、最後の短期決戦次第で優勝のチャンスがある。

これは到底承服しがたいほどおかしい制度なので、前々から考えていた制度(私案)を書いてみたい。

メジャーリーグは、国土があまりにも広いので、二つのリーグとも、東、中、西、と三つの地区に分けている。それぞれの優勝チームと、ワイルドカードと呼ばれる、リーグ全体の優勝チーム以外の勝率第1位チーム、あわせて4チームでプレーオフを争う。

これを倣えばいい。

例えばセ・リーグ。

西地区   広島、阪神、中日
東地区   巨人、横浜、ヤクルト

ペナントレースは普通どおりに戦う。最終的に、西地区の優勝チームと、東地区の優勝チームがプレーオフでセ・リーグの優勝を争う。誰にも文句はないだろう。

・・・で、パ・リーグ。これはちょっとこじつけないといけない。パ・リーグの球団は本拠地をめまぐるしく移すので、ややこしくなる。

西地区   ソフトバンク、オリックス、西武
東地区   日本ハム、楽天、千葉ロッテ

西武と千葉ロッテが微妙だが、本拠地の経度の若干の違いによって、わがままは許さないということにする。

最終的に、パ・リーグも西の優勝チームと東の優勝チームがプレーオフを争う。

・・・こういう案は、誰かがきっと検討したはずだ。何故、こういう風にしないのだろう。誰もが納得するのに。

ドジャースの黒田投手
メジャーリーグのプレーオフが始まった。

ボストン・レッドソックスの松坂は、先発2番手としてエンゼスルとの第2戦に登場し、フラフラしながら5回まで投げた。試合はもつれたので松坂の勝ち負けはつかなった。

ロサンゼルス・ドジャースの黒田は、今日の第3戦に先発し、ピシャリと抑えて勝ち投手になった。

黒田は、昨年まで広島カープの絶対的エースだった。

不器用そうに見えるので、メジャー1年目は慣れるまで時間がかかっただろう。まだ慣れていないかも知れない。

黒田という投手は、広島カープ時代からそうだったが、調子のいいときは、相手打線はまず打つことが出来ない。黒田の投げる高速スライダーは、松坂のとは少し違う。
黒田の高速スライダーは、本当に見事に決まったとき、人間には打つことが出来ないものだ。日本ハムのダルビッシュが似た球を投げるが、黒田のとは比べ物にならない。

黒田という投手は、スロースターターである。開幕直後から白星を重ねていくタイプではない。暑くなってくるとエンジン全開になる。

今年も、夏の暑い盛りに、あわやノーヒット・ノーランか、というもの凄いピッチングをした。

松坂のボストン・レッドソックスは、アメリカン・リーグ。
黒田のロサンゼルス・ドジャースは、ナショナル・リーグ。

日本の、セ・リーグとパ・リーグと同じようなものだ。

ワールド・シリーズ最後の戦い、黒田と松坂の対決を見てみたい。
老が恋わすれんとすればしぐれかな
与謝蕪村、おそらく六十歳くらいの頃の作。

新しい言葉を生み出してやまない人は、年をとらない。ゲーテは七十歳になっても新しい恋をしていた。

蕪村の、老いてのちのはかない恋。蕪村はそれをも、短い文字をつづって芸術作品にする。

この句は、五七五、十七文字になっていない。一字、余っている。


わすれんとすれば


この句を、例えば以下のようにしたら、字は余らないし、さほど意味も変わらないように見える。


老が恋 わすれんとする しぐれかな


わすれんとする

      ↓

わすれんとすれば


する を すれば

にするだけで、趣きは大いに異なってくる。


蕪村は、やっぱり わすれられんということを言いたいのだろう。


・・・自分自身も、絶えず新しい恋をしているので、よおく分かるのであります。
秋立つや何に驚く陰陽師  
与謝蕪村は、ジャズのインプロビゼーション(アドリブ演奏)のような発句を得意とした。

思いつくままに、少々句の姿がゆがんでいようがいまいが、構わずに書く。書いたら書きっぱなし。
芭蕉のように、句のなかの「の」の字を「や」に直したり、いやまた「の」に戻したり、といったこだわりみたいなものが、あまり感じられない。


秋立つや何に驚く陰陽師


この句は極めて現代的で、読むと、ザワっとした不安を感じる。人間が決して聴くことの出来ない、超低周波の音が、立体的に脳髄の奥に響く。ジャズのベースの音よりもはるかに低い、超低周波。

言葉の持つ力は、人間には聴こえない音を聴かせることが出来る。人間には見えない映像を見せることも出来る。

蕪村は、この句で、瞬間の幻を見せている。蕪村は、類いまれな「幻視者」だった。ある日、秋がきた。縁側に座って酒でも飲んでいるときに、ふと、この光景が見えたのかもしれない。

普通、人はこんな光景は見ない。

こんな光景を見る方法は、ない。
秋深き隣は何をする人ぞ
松尾芭蕉は、病ふかく、死を目前にしていた。

芭蕉は、昼寝をしていたわけではない。起き上がるのもつらかった。
隣りの家に住む人が、何か物音を立てている。
何をしているのか、確認することができない。

危機感を感じている。切羽つまっている。のんびりしているわけではない。

一気に寒々とした、荒涼とした秋。音もなく散り敷く枯葉。


・・・今、この部屋には自分以外誰もいない。

誰か他の人のことが気になっている。落ち着かない。何をしているのだろう。

秋という季節の、底知れぬ深淵。
11PM
11PM(イレブン・ピーエム)は、おそらく40才代半ば以降の人しか知らないと思う。
私は高校生のときから、大学生になっても、毎晩というわけでもないが、見ていた。

月曜から金曜まで、毎晩11時からのワイドショー。

月、水、金を日本テレビが制作し、司会は大橋巨泉。火、木は読売テレビが制作し、司会は作家の藤本義一。

内容はあまり覚えていない。大橋巨泉は、自分の好きな釣りやマージャンのコーナーを設けて、自分で解説していた。

藤本義一は話し方がうまかった、ということだけ記憶している。

時々、今はおばさん俳優として活躍している、あき竹城が、当時の本業であったストリッパーとして登場し、若い私には刺激の強すぎる、濃厚なストリップショーをやっていた。鮮明に記憶しているのはそのことだけ。

しかし、11PMは、当時としては画期的な番組だったと思う。深夜の時間帯の、大人の番組。



ところで、今日9月30日は、家内の誕生日だったような気がする。いったい何歳になったのだろうか。
ウイスキーが、お好きでしょ ・・・また再び
サントリー宣伝部、サンアドには、コピーライターである開高健と山口瞳と、もう一人、忘れてはならない天才イラストレーターがいた。

柳原良平。アンクル・トリスというキャラクターを世に送り出した。

アンクル

アンクル・トリスは、いつもウィスキーとともにいた。
ウイスキーが、お好きでしょ ・・・再び
サントリー角瓶の、このCMソングを唄っているのが石川さゆりだということは、最近知った。
愕然としたが、聞いて、納得した。冬の白い山に、つややかにこだまするような歌声は、やはりこの人だなと、あらためて納得した。

今日、コンビニに行ったら角瓶が置いてあった。1450円と書いてあった。涙が出そうになった。自分の1ヶ月のビール代の、10分の1だ。

複雑な気持ちだ。

ウイスキーが、お好きでしょ 
石川さゆりの澄んだ歌声が、グラスのなかの氷が柔かく触れ合う音によく合う。

最近、サントリーウィスキー「角瓶」のCMがよく流れる。それを見ていると、ホッとする。

実は、角瓶はほとんど飲んだことがない。学生時代は、もっと値段が安かった「トリス」だった。角瓶を飲むのは夢だった。見果てぬ夢だった。もう一つランクが上の「オールド」は、瓶の形が気に入らなかった。

若い頃はウィスキーばかり飲んでいたが、いつの間にか焼酎の方がはるかに安くてうまく、しかも悪酔いしない、ということを聞いて、焼酎になった。

焼酎の売上は、ある時点を境に爆発的に増えた。政府は、すかさず焼酎に酒税をかけた。焼酎は高価になった。

酒やタバコなどの嗜好品には、政府は遠慮なく税金をかける。かけやすいからだ。文句を言う人間は、全国民の中で割合は少ない。
下手にお米なんかに重い税金をかけたりすると、全国民の憎しみをかってしまう。


・・・それはいいのだが、最近、小雪が登場する角瓶のCMを見ていると、「またこれにしようかな」と思う自分を発見して思わずうろたえたりしてしまうのだ。(ややこしい言い方だ)
何しろ角瓶は、今飲んでいる焼酎よりも安上がりなはず。

角瓶は、小雪を登場させたりして女性のイメージにしたが、かつては男性的なイメージで売っていた。

20代の頃に見た角瓶のCM。

山口瞳(作家。かつて、開高健の後をついでサンアドのコピーライターのエースだった)が、和服を着て、ウィスキーを呑みながら将棋盤を前に将棋の研究をしている。
息子らしい若い男が、角瓶を持ってさっと向うに行ってしまう。山口瞳が「あれ?それ持っていっちゃうの?」と声をかける。

・・・この何気ないCMのシーンには、意味がある。角瓶は、お金に余裕のある父親が飲むもの。息子が飲んじゃいけねえだろ。CMの中で、山口瞳は、「角、角・・・」と呟いている。これは将棋の「角」のこと。

ウィスキーは、CMによってガラリとイメージを変える。ブランドを変えると言ってもいい。サントリーという企業は、そういうことを巧みに、あくことなく演出する。

それで、私は、明日スーパーに行って、「角瓶」を買うのであろうか。

角瓶

タイム・ラグ
大相撲が好きなので、休みの日には夕方5時頃から缶ビールを飲みながらテレビ観戦している。

先日、ふと思いついて実験してみた。

テレビ以外に、実況中継を見る方法が二つある。

一つは、パソコンのストリーミング。日本相撲協会が、gooと共同で配信している。これはgooのポータルサイトから見ることが出来る。
ただ、このストリーミングは、おそらく1台のカメラで、ズームインやズームアウトするだけで、画質は荒く、音声も字幕もなく、情報量としては極めて少ない。

もう一つは、携帯電話のワンセグ。地上デジタル放送が見れる。イヤホンをつければ音声は聞えるのだろうが、解説の字幕が出てくる。


わが家の狭いリビングでテレビをつけ、パソコンをつけ、携帯のワンセグをかわるがわる見ていた。

「ほお・・・」と思うくらいに速度が違う。電波の速度の違いが、再生の速度の違いを生み出す。

一番遅いのは、パソコンのストリーミング。テレビではもう勝負がついていた時、ストリーミングでは、立会い前の最後の塩を力士がつかんでいた。その時その時で若干の速度の違いは出るだろうが、それくらいの違いが生じる。家庭のインターネットは、伝送速度が遅い。わが家はadslだが、光ファイバを入れてもそれほど事情は変わらないだろう。

では、携帯のワンセグは。やはり、テレビよりも若干遅い。テレビで力士がぶつかり合った時、ワンセグでは最後の仕切りで両者にらみ合っている。

テレビよりもっと早いのは、両国国技館で実際に生で取組みを見ることだろう。

・・・タイムマシンのことを思った。(私はタイムマシンのことを考えるのが好きだ)

わが家の三つの部屋で、同じ相撲の中継を、リビングでは私がテレビを見ており、もう一つの部屋で家内が携帯のワンセグを見ており、もう一つの部屋で長男がパソコンのストリーミングを見ている。
三人とも横綱 白鵬のファンだ。(と仮定する)

白鵬が、豪快に相手を投げ捨てる。最初に私が歓声をあげ、ちょっとして家内が「やったやった」と手をたたき、しばらくして長男が「よおっしゃあ!」と大騒ぎする。

三つの時間が存在している。白鵬が相手を豪快に投げ捨てた時間はただ一つしかないが、電気信号の速度の差によって、タイム・ラグが生じ、事実を証明する時間が三つ存在する。

三人の人間は、それぞれが、白鵬が勝った時間は、自分が見ている時間だと思っている。


ここまで考えていて、気がついた。

なあんだ。こんなことは100年以上昔にあの人が証明している。
アインシュタインの特殊相対性理論。
光の速度は絶対だが、それ以外は相対的に違う。・・・大雑把に言えば。
横綱の引き際
もう40年近く前、初めて田舎から東京に出てきた18歳の私は、見るもの何でも珍しく、毎日どこにでも出かけて行った。

大相撲の五月場所が、蔵前国技館で始まった。今は両国国技館が出来たが、その前の蔵前の国技館。

一番安い切符を買って、一番高い所から、小さな土俵を見おろしていた。

史上最強の横綱、大鵬は、すでに32回の優勝をしていた。無敵だった。土俵入りから見ていた。大鵬は、美しかった。

結びの一番、大鵬と、当時メキメキと強くなっていた貴ノ花(今の貴乃花親方の父)と対戦し、大鵬は、貴ノ花の素早い動きに対応できず、寄り倒された。大鵬はお尻から土俵の外に落ちた。私は茫然とその光景を見ていた。


・・・翌日、大鵬は引退を発表した。


驚いたが、なんとなく納得した。横綱は、無様な負け方をしてはならない。
若い力士の挑戦を、これまで何度もしりぞけてきたが、これ以上は無理だ。・・・・・・

私は、大鵬の最後の取組みを、偶然にも目にすることが出来た。


横綱の進退は、横綱自身が決めなければならない。師匠ですら、決めることは出来ない。


朝青龍は、もう考えているだろう。これ以上とり続けても、負けるばかりだ。

朝青龍のような負けん気の異常に強い人は、いったん守りに入ると、「アレ?」と思うほど弱くなる。


大鵬のようにスパリと引退したら、尊敬したい。